|
― 平成10年冬 ―
子供の頃の話〜寒い冬〜 おかみへの手紙
子供の頃の話〜寒い冬〜 |
さて、この冬は何を書こうかとぼんやり考えている時、まず思うのは、雪が多いか少ないか・・・・・・です。町中でも、今年は天候不順だったから冬が早く来るらしいとか、雪がたんと(たくさん)降るらしいとか、話題になり、1年の半分を寒い中で過ごす私達には、冬をどう乗り切るかが、大きい関心事なのです。
でも、地元の人の会話は、さんざん心配だと言って、最後には「冬が来るでこーわいさなぁ。」で、のんびりと話が締めくくられます。これがまた、高山らしいところです。この時の『こわい』は、『恐い』ではなく『弱った』くらいの意味で使われます。長い冬を雪と寒さと共に過ごすのですが、年々少しずつ暖かくなってきている様に思います。
それでは、私の子供の頃の話、今よりもっともっと寒かった頃の話を、2つ3つ・・・・・・
<かまくら>
あれはいくつの時だったか、隣のお兄ちゃんたちが、家の前に大きいかまくらを作りました。私も中に入れてもらって、ろうそくの明かりの中うきうきしていた時、かまくらのせいで塞き止められた雪解け水が、家の中に入ってしまいました。坂道にある商店街の家の前は車道なのに、大胆にも、そこにかまくらを作ってしまったのですから・・・・・・何か起きない方がおかしいわけで・・・・・・坂の上の方から流れてきた水は、行き場を失い隣の家の玄関に流れたのです。結局、お兄ちゃんたちは大目玉をくらい、ただ作っただけですぐ取り壊したのです。
雪国の方はご存じと思いますが、かまくらを作るには、すごい量の雪と山を作ってからまたくり貫く力と根気が要ります。秋田地方でしょうか、かまくらの中に子供たちがいる様な写真を見る度、私もあの時のまぼろしのかまくらを思いだすのです。町の中であんなにたくさんの雪には、もうお目にかかれないかもしれない・・・・・・
<水道管破裂>
物騒な話ではありません。子供の頃は冬のうちに何回か、母が「今日は水道が凍みた(凍った)で、やかんの湯で顔洗いないよ。」と言いました。今は、各家の水道管の回りに電熱線を巻いたりして、めったに聞かなくなりましたが、家の外に剥き出しになっている水道管は、冬の明け方の氷点下で、中の水が凍ってしまうのですから。ひと朝、不便な思いをして、解けるのを待つだけです。どうかすると、凍って膨張した管が、破裂することもあります。そうすると、溶け出した時に思わぬ所が水びたしということもよくありました。凍みた朝は、どこの家も早く水を通したい。ようやく水道屋さんに来てもらって、水道管のあっちとこっちで電気を通すとやっと水に遭えるのです。そんな思いをしたくないので、明日の朝は凍みるなぁと思う夜は、水道の水を細めに流しっぱなしにします。一晩中流しておくのは、もったいないのですが、しかたありません。水道管破裂よりましです。
飛騨の冬には雪とのつきあいだけでなく、凍りつくような寒さとの知恵くらべもあります。
<ばんば>
『ばんば』とは、1枚の板で作った木製のスコップのことです。イメージとしては、羽子板の柄を長くしたようなものです。羽子板の様に、平らな部分には、目のパッチリとした可愛い女の子の絵が描いてありました。1枚板の「ばんば」ですから実際に雪を運ぶことはほとんどできません。そのままでは、雪が着いてしまうので「ろう」を塗って、雪の中に突き立てると、下駄の歯の様な跡が付くので、四方に突いてくり貫いたり、雪の上をペンペンとたたいたりするのが遊びでした。
「ばんば」は、近所の塚本屋さんで、冬になると売られてました。私が物心ついた頃、祖母が母に「栄里子に『ばんば』買ってやれ」といったそうですが、岐阜市から嫁に来た母は、「ばんばって何???」と分からず、往生したそうです。「ばんば」の柄には「えりこ」とか「かよこ」(妹の名)とマジックで書いてもらうのに、次の年の冬がくると、ばんばは探しても見当たらず、また祖母にねだったのも、懐かしい思い出です。 |
おかみへの手紙
飛騨千光寺住職 大下 大圓
有巣栄里子さん あなたが、千光寺に遊学に来ていたのは、確か高校生のときでしたね。あれから、20年くらい経つのではないでしょうか。
あなたが東京の専門学校をでて、しばらく神田の「山の上ホテル」で研修をされているときに、自分の将来像について、悩んでいるんだと、一度手紙をくれましたね。いろんな思いを経て、こうやってあなたが今、平野屋の女将になっているということに深い感動を覚えます。
私の住んでいる飛騨千光寺の寒い朝には、雲海が眼下に拡がり、遠く見えるアルプスの峯々が白い綿帽子をかぶっています。千光寺は、袈裟山という1つの深い森をもつ境内の中にあります。麓の村里には昔からの変わらぬ風景が残っています。その村里を眺めるたびに思い出すのが「ふるさと」の歌です。
うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと
いかにいます 父母 つつがなしや 友がき
雨に風につけても 思いいずる ふるさと
こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき ふるさと 水は清き ふるさと
千光寺が、今から1千6百年前に飛騨の豪族両面宿難(りょうめんすくな)によって開山されたことはよく知っておられますよね。この両面宿難は飛騨の歴史においては重要な存在で、飛騨国の黎明期に大きな役割を果たしたといわれています。当時は、大和の国が奈良で中央集権国家を築こうとした時代で、そのなかにあって、飛騨は独特の文化を保持していたのです。やがて、その特色ある地方の国である飛騨も朝廷の放った兵隊によって滅ぼされてしまうという非運に遭います。
江戸時代に諸国を行脚しながら、仏像を刻んでいた旅の僧「円空さん」が飛騨と千光寺を訪れ、この両面宿難を造って残したのです。両面宿難は、強い権力のあるものが弱い立場の人々を搾取するという当時の社会構造に真っ向から、反対の意思を示し、飛騨の民百姓を護るために全身体を矢面に立ったのです。両面宿難の2つの顔は朝廷との軍に立ち向かった慣怒と柔和の表情に表われています。円空さんの江戸時代もまた、幕府の締め付けのなかであえぐ庶民の苦しい声を代弁し、仏像を彫り続ける造仏作業の中で、人々に安らぎと癒しを施した円空さんが見えてきます。千光寺にはそんな円空仏が64体も保存され、一般の参拝客に解放しています。
春の雪解けから、まさに初冬の雪が舞うころまで、千光寺には円空さんの仏像を求めてくる人や、山の静かなたたずまいと静寂な心境を醸し出す山上の透き通る風に引かれて、訪れる善男善女の声は絶えません。しかし、一度雪のベールに包まれ、リンとしたチベットを思わせる風が吹くと、人の気配のしない真っ白で、音の無い世界が表われてくるのです。本当の千光寺は、人間さえも寄せつけないほどの厳しい冬場にあるのかもしれませんね。
寒さは逆に人の心を暖かくしてくれます。ご自愛ください。またお便りします。
大圓 |
上へ
今回、女将便りに寄せていただいた大下大圓さんとのご縁は、私が高校2年の時からです。当時、大圓さんは高野山大学から戻ってみえて間もない頃で、千光寺には長い休みになると、学生達が何人か来ていて、勉強する人、心をみつめる人、等それぞれに過ごしていました。寺のある袈裟山は、静かに優しく私達を迎えてくれました。
春になったらまた行ってみましょう。千光寺と大圓さんに会いに。
平成10年最後の女将便りとなりました。
みなさまにとって、来年も輝かしい年になりますように。 |
上へ
平成10年冬 |
|