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 平成12年秋 ―

「高山祭り」のこと  雑感  お囃子のこと  第二回燕游会のこと

「高山祭り」のこと

 今年も、もうすぐ秋祭りが来ます。うれしくて、そしてちょっと寂しい、秋祭りです。
 秋祭りが終わってしまえば、長い冬を過ごさねばなりません。そんなことを思うと、今年も「動」の季節が終わるようで、ちょっと寂しい気持ちになるのです。
 だからこそ、祭りに対する気持ちは、いやがおうでも盛り上がってくるのでしょうね。

 さて、今回は、お祭りの屋台のことをお話しいたします。
 屋台は、屋台会館ができるまでは、1年に1度だけ屋台蔵から出されるものでした。町の中を散策中に、背の高い白い土蔵の屋台蔵を、ご覧になった方も多いと思います。
 屋台蔵は、どんなところにあったとご記憶ですか?
 高山の地図を思い出してみてください。町は、碁盤目の様になっています。その中で屋台蔵があるのは、観光のお客様が歩かれるところ。
 つまり、平野屋が建っている本町通りから東の区域であり、そこが城山に金森長近公のお城があったときの城下町だったのです。
 その頃の高山は、貧寒痩土の地でありました。そこで、明日に望みなき民心を春秋の祭りに眼を向けさせることが民心安定の得策として、祭りが認められていたそうなのです。
 その後、飛騨は天領となり、民心も安定、豪商の発生により屋台が造られる様になりました。

 屋台が祭りの行列に登場する様になったのは、享保3年(1718年)頃であったようです。祭りには、必ず陣屋(代官所)へ屋台と行列を引き連れ、披露したのだそうです。

 その後、豪商を中心に人々はそれぞれの屋台を競い合い、からくり人形を採り入れたり、単層から重層へと高山独自の形を作りだしました。そしてさらに文化、文政年間(1804年〜)になると、彫刻や、懸装品がつけられて、絢爛豪華な屋台へと変わっていったのです。
 そんな各屋台は、市のものでもなく、個人のものでもない「屋台組」という屋台の回りの区域のものであります。ですから、屋台組の結束は何にも縛られないものなのです。
 そして、その組の区域内に入れば、屋台組の権利が得られるし、いったん外に出てしまえば、どんな功労者であっても、屋台に乗ったり、屋台を曳いたりする権利を失う事になります。
 高山祭りは、春の山王祭りと、秋の八幡祭りを引っくるめた総称です。
 祭りの区域は、安川通り、今の国道158号線で別れます。
 春祭りは、町名に「かみ」の字が付く「上町組」の祭りであり、秋祭りは「しも」が付く「下町組」の祭りです。よって曳き出される屋台も、春と秋とでは違うのです。
 春は、からくり3台を含む12台の屋台が、また秋は、一番有名な離れカラクリの布袋台を含む11台が出ます。
 屋台が違う通り祭礼の執り行い方も、春と秋とではずいぶん違います。
 春祭りでは、「宮本」と呼ばれるその年の代表の屋台組の人たちが祭りの総指揮をとります。屋台の曳き出しや、夜祭の開始等を「青竹」に挟んで書状を、屋台組に回します。
 秋祭りでは、「年行司」と呼ばれる人が総指揮を取ります。年行司はその年当番の屋台組から、代表1名ずつ合計8名が選出され、祭を執り行います。屋台の曳き出し等は次の屋台へ次の屋台へと、言い継ぎされるのが習わしだったそうですが、今では立て札にて各屋台に年行司が知らせるのだそうです。
 各屋台の組同士もそうですが、どちらの祭が良い祭か一歩も譲らず、議論の難しいところです。これについてはまたどこかでゆっくりと・・・・・・。


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雑感

 私が子供の頃は、祭りは男性が取り仕切るものでありました。
 屋台組の子供とはいえ、女の子は屋台に乗ってはいけないことになっていました。加えて私は家の商売上、祭りは子供の手さえも一人前の仕事をしていましたから、子供の頃は祭りの屋台を遠巻きに見ることしかありませんでした。
 それで、祭りに関しては、特に今まで自分の眼で見てきた中で、そうであろうと思いこんでいることが意外と多いことに気づきました。

 私は高山生まれの高山育ちで、高山のことは良く知っているつもりなのですが、確認のため取材をしてあらためて勉強することも多くあります。しかし、風俗的なことに関しては図書館にも資料がないことがあります。これまでの女将便りの中では、「飾り物」「秋葉様」なども、資料がなくて困ったものです。
 伝統行事は受け継がれていく事が大切なのであって、資料として残すことは必要がなかったのかもしれません。後継者不足に悩むこともなかったのでしょう。
「こんなこともやってるぞ。」
と、声を大にすることもなく、もくもくと引き継がれてきたのです。
 高山のたくさんの素敵な伝統がこれからも続いていきます様に。

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お囃子のこと

 屋台が屋台蔵から曳き出され、ゆらゆらと揺れながら所定の位置まで動くとき、屋台の中ではお囃子が奏されます。
 お囃子は笛、太鼓、締太鼓とすり鉦等で演奏されますが、昭和30年代に屋台組の中の人手不足とテープレコーダーが流行ったことにより、テープに録音されて流されるようになったのです。そうするうちに、お囃子自体の練習や引き継ぎがなくなって、現在、生演奏するのは23台中、6台のみとなりました。
 文政年間の古文書の祭礼規定では、屋台に警固の人とお囃子がいなかったら出台を認めない、と書いてあるほど屋台になくてはならなぬものであったのに!!
 そこで、演奏できる人が少なくなったことに危機感をもって、昨年から後継者を育てる伝承活動が始まりました。
 秋祭りのからくりの屋台、布袋台でも、この春から子供たちを集めてお囃子の練習をしています。しかし、組の中でお囃子の演奏をできる人がいないので、いつも生演奏で祭りにでる隣の屋台、鳩峯車台から先生として来てもらっての練習です。
 屋台組の中の人材で、演奏しようと声をかけて集まったのは、女の子6人、男の子が1人でした。最初は全然音が出なかったのに、いつのまにか「道行き」「高い山」の両方を吹けるようになりました。先日は、屋台に乗って実際に演奏してみる経験も済ませ、祭り本番に向かって練習を重ねています。
 さて、各屋台はお囃子を2種類ずつ演奏いたします。お囃子には、目的地に行くときのものと屋台蔵へ帰るときのものとがあるのです。往き道の唄は、それぞれの屋台によって違いますが、主なものは秋祭りの屋台の1つ、大八台によって作られたという「大八曲」と、その唄を崩した他の屋台の「大八崩し」「道行き」、雅楽の管弦から出た「越天楽」、「陵王の曲」等があります。
 そして、屋台曳行の途中、順道場と呼ばれる場所を通過するとき、宮本、年行司の指示により曳き別れ(屋台蔵へ帰ること)になったら曲が変わって、今度はほとんどの屋台が「高い山」というお囃子の演奏となるのです。「高い山」は、自分の屋台蔵へ帰るときの曲で、囃子に合わせて子供たちや大人が祭りの終わりを惜しんで歌う哀詞のある調べです。

 私はこの「高い山」が高山の祭りの屋台の唄として、最も有名であり高山の独特な物だと長い間思ってきました。
 ところがこの唄は、全国的に存在しており、宝暦(1751年〜)頃の流行の唄であったそうです。他の地方では、子守歌や祝い唄として歌われていたとのこと。
 しかし、その曲調は高山だけに存在し、歌い継がれてきたのだそうです。本当はテープを同封して皆様に聞いていただきたいのですが、それは将来のお楽しみとして、まずその歌詞をご紹介いたしましょう。

♪♪♪ 高い山 ♪♪♪

 @たーかい やーあまーあ かーらあのたにそーおおこみーれーばよー
   うりや なーすーびーいいの はなざーあかーあり
   あれも よーい よいよいよい
   これも よーい よいよいよい

 Aあーのかぁ よおーいーこーじゃあが ぼたもーおおちがーおおおでー
   きーなこ つーうけーえたーぁああら なおよーぉかーあろな
   あれも よーい よいよいよい
   これも よーい よいよいよい


高い山から、谷底見れば
瓜やなすびの花ざかり
あれもよいよいよいよい
これもよいよいよいよい

あの娘よい娘じゃぼた餅顔で
きな粉つけたらなお良かろ
あれもよいよいよいよい
これもよいよいよいよい

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第二回燕游会のこと

 今年も、お客様とのふれあい企画「燕游会」を楽しみました。
 今年は高山の地元の焼物、渋草焼きを訪ねる旅をご用意いたしましたので、初日は私のお薦めの地元焼物専門店「わらじや」へご案内、実際に渋草焼きをご覧いただき、翌日は、窯元 5代目戸田柳造氏を訪ねて、郊外の作業場へ伺いました。
 窯元 戸田氏は、いつもはとてもとてもシャイな方なのですが、実際にろくろを回しながら、作品の話をしてくださいました。またとない光景に、私自身も時間を忘れて見とれるひとときを過ごすことができました。
 そして、もう1つの柱、お泊まりの夕べの宴会は今年も社員一同の手作り宴会でありました。料理も特別ならば、私もこの日ばかりは宴会場にて、皆様とゆっくりお話をし、最後は客室係の民謡手踊りで幕を閉じたのです。
 また、今回の燕游会で皆様が喜んでくださったのが、浴衣でした。街で市販されているような浴衣をたくさんご用意し、ご希望の方にお召しいただきました。帯も半幅帯と作り帯びの両方をご用意して、お好きな物を選んでいただくのは、私たちにとってもたのしいことでした。宴会には、その浴衣姿で参加してくださり、一層会場が華やかだったことは言うまでもないことです。
 ご参加くださいました皆様、どうも有り難うございました。来年も又、燕游会を開けますように。

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平成12年秋

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