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飛騨高山本陣平野屋 ブログ「飛騨高山から」

 平成8年春 ―

春――高山の春  春の思い出(祖母と私)  入社1年を振り返って  女将より

春――高山の春
 春――高山の春は遅く、4月14日の春祭りの日にも雪が降ることさえあります。3月もお彼岸のころには、日中暖かい日もあり、つい、こたつをかたづけてしまうと「寒のもどり」がきたりして、祭りの頃までは、油断ができません。春は、「三寒四温」のことばどおりですが、春の息吹を感じて人一倍心もわくわくするのは、「飛騨びと」として高山の長い冬を過ごすせいだと思います。
 3月になれば、暇を見つけて城山などに散歩に行き、残雪に埋もれたふきのとうをみつけたりして、思わずニコニコ……高山に生まれ育った事をありがたく思ってしまいます。
 4月は、祭りの頃には桜が咲きます。屋台の豪華さを満開の桜が彩った年は、もう手放しで喜び、お客様に「あなたは、運の良い人です。」なんて値打ちを付けたりします。高山祭りをご存じの方は、よくおわかりですよね……屋台は雨が降ったらでませんし、まして屋台が出揃うたった2日の間に、桜の開花がピッタリあうことはそうそうありません。れんぎょう、梅、桜、桃など季節を追って咲くはずの花も、高山ではどれもこれもいっぺんに咲きます。半年余りを寒さと雪に耐えて一度に咲き誇る姿に、だれもがうっとりいたします。花が咲きかけると、街中が淡い色に染まります。人々の足も何とはなしにはずみ、活気あふれる季節となってきます。そして、そのころ飛騨では、「山行き」という行事が始まります。「山行き」は、町内単位、職場、他 花見に行く様なもので、新緑の季節まで続きます。ゴザをもって(今はビニールシートです。)山に上がり、車座になりごっつお(ごちそう)を食べ、酒を飲む飛騨びとの楽しみ。「飲ままいか、歌わまいか」と声が聞こえてくるようです。これも春の喜びのひとつですね。
 その他に山菜取りもあります。つくし・あずき菜(なんてんはぎという豆科の草。飛騨独特のものです。)・わらび・ぜんまい・ふき等が主なものです。他人が取ってきた話を聞くと、いてもたってもいられない、そんな人がたくさんいます。「山菜取り」の達人という人もいて、山菜の良く取れる所を知っていたり、準備、出で立ちにおいてはなるほどとうなってしまう様な人ばかり……けがをしないように、たくさん取れるようにみな工夫をしています。そして、なかには山深くタケノコを取りに行く玄人はだしの人もいます。春は飛騨びとが、あれやこれやと浮き足だつ楽しい季節なのです。

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春の思い出(祖母と私)

 4人姉妹の長女に生まれ、また初孫であった私は、祖母からとてもかわいがられていました。私が小学校に入学した春、祖母は「今日から学生さんだよ。」と言って、ことある度、私のことを「学生さん」と呼びました。私は「学生じゃなくて、小学生なの」とむきになって言い返していました。わたしの祖母は、学校にも行けず、家計を助けるため子供の頃から針や糸を売って商いをして大きくなった人でした。今思うと、「学生さん」という言葉のなかには、そんな祖母のあこがれの様な心があったのでしょうね。私の1年生の春は、そんな愛情いっぱいの中で始まり、小柄でランドセルが歩いていると言われた私は、内気で泣き虫で、近所のお兄ちゃんの後ろをひたすら置いていかれないように小走りで学校に行きました。学校へ行く前には、仏壇にお参りして祖母の「コーソ」という元気のでる薬を飲んで出掛け、帰ってくると、祖母の茶箪笥のなかにおやつがあって、まんじゅうであったり、バナナであったりして、姉妹のなかで私だけ量の多いおやつを食べていました。ずいぶん甘やかされていた頃の話ですが入学式のころになると必ず思い出す祖母との思い出をお話ししました。

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入社1年を振り返って

客室係  古畑 美千代     

 私は高山で生まれ、高山で育ちました。姉、弟2人、妹、私の5人姉妹です。 中学卒業後、働きながら岐阜の定時制へ4年間通っていました。少しでも親に負担をかけないで、自分の力で生活してみたいと思ったからです。右も左も知らない環境の中で、生活していけるのだろうかと、不安になったこともありました。今まで親の力で生活していた私には、4年間頑張れるのだろうか?と不安ばかりつのりました。でもこれでくじけたら私の負けだと思ったとたん、どんな事があっても頑張って卒業してやるぞという気になりました。
 仕事しながら学ぶということは、簡単そうに思えて、いざやってみると難しいものでした。普通の高校生なら良かったと思っても、口に出して言ったことはありません。それは、4年間長くてつらかったけれど、私と一緒に頑張った仲間がいたし、沢山の人と出会えていろんな話を聞くことができたからです。また一番のささえは、家族でした。家族の声を聞いてつらい事も忘れるから、本当に家族っていいもんだなぁって思いました。
 家には、幼い妹がいて、母が仕事するにも大変なので、少しでも親が楽になれるようにと思い、卒業後は高山で就職しようと決意しました。そして昨年5月、本陣平野屋に入社しました。私は「人と接したい」、「将来自分のために役立つ」と思い、接客業という仕事を選びました。むずかしい仕事だけど、やりがいのある仕事だからがんばろうと思いましたが、何もかもがはじめてで、着物も着れるようになるまで、先輩方に手だすけをしてもらいました。一つ一つ最初から、先輩方は親切に丁寧に教えて下さいました。料理を運ぶことや部屋案内など。私には覚える事がたくさんあってパニックになった時もありました。何か一つ覚えなくては、いつまでも先輩方に負担をかけてはいけないと思い、私自身あせった時もありました。「落ち着いて、落ち着いて」と何度も自分にいいきかせました。
 そして一番こわかったのは、部屋案内でした。お部屋の中でお客様に見つめられながら案内をするのはとてもドキドキします。先輩方が案内する部屋を見学したり、部屋の入り口で聞いたりしました。落ち着いていたし、大きな声でわかりやすく説明していました。私が初めて案内した時は、声が小さくて、お客様は私が何を言っているかわからず、困った表情をされました。私は家に帰り、何度も満足いくまで「いらっしゃいませ。」と最初にいう言葉を練習しました。慣れるまで先輩方が私の案内するのを聞いていてくれました。たまに私がとまどっていると、部屋に入ってきて、助けてくれました。部屋案内が終わると、私の悪かった所、良かった所を言ってくれました。その度に「よし今度こそ」と思いました。
 一番うれしかった事は、お客様に「若いのに、大変だネ。頑張るんだよ。」と励ましの言葉をいただいた時です。お客様だけでなく、先輩方にも「もう大丈夫!」と言われた時には、私の顔には笑顔が戻っていました。
 この1年、私はとまどうこともありましたが、先輩方の励ましやアドバイスのおかげで成長する事ができました。この仕事を選んで本当に良かったと思います。まだまだ一人前とはいえませんが、この仕事を楽しく、笑顔で、誇りを持って続けたいと思います。背のびしないで頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 古畑美千子さんは今年成人式を迎えたばかりの20才。平成7年度の新入社員として客室係を希望し1年がたとうとしています。そんなみっちゃんの心意気を紹介いたしました。(女将)

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女将より

 飛騨生まれの女将からの便りも春号となり、毎回たくさんの方から感想を いただきます。皆様に励まされつつ、また、つたない文を読んでくださるこ とに感謝しつつ、ガイド・ブックに載っていないことをお話ししたくてつら つらと書いております。ありがとうございました。

本陣平野屋 女将  有巣 栄里子     

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平成8年春

飛騨高山の宿 本陣 平野屋 花兆庵 〒506-0011 岐阜県高山市本町1丁目34番 TEL.0577-34-1234
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