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― 平成8年夏 ―
高山の夏〜私の夏 私の仕事 調理師という道に進んでみて 夏号の2人は・・・
高山の夏〜私の夏のお気に入り |
高山の夏というと、涼しい様に思いますが、日中は30度を越す気温になりますので、都会と変らぬ暑さです。只、高山の良いところは、湿度が少なく「熱帯夜」のないことですね。夕方になると日が陰り涼しくなりますし、窓を開けたまま眠れば、朝寒くて目が覚めます。朝は薄い雲が広がって、気温は20度を下回り、ひんやりとさわやかな空気が街を包みます。早起きしたら、窓を開けてみてください。思わず、深呼吸して散歩にでかけたくなる清々しいひとときです。
夏の朝は早く、朝5時を過ぎると、朝市のおばちゃんたちが、宮川沿いや陣屋前広場に次々集まってきます。その昔は、リヤカーに野菜などを乗せて来ていましたが、今は、お父ちゃんの運転で軽トラックに乗ってやってきます。朝取りのきゅうり(イボのとんがりが痛いから新鮮です。)真赤なトマト(朝市では塩も準備してあるので、歩きながらの丸かじりがおいしい。)小なす(漬物用なので、より小さいものが高価です。なすのへたが指にささって痛いので注意。地元の主婦も品定めをしています。)その他、ほうれん草、ささげ豆、とうもろこしなどの野菜、色とりどりの花、自慢の漬物、それぞれのテントから、はみださんばかりの売り物が並びます。たとえ用事がなくても、ついつい朝市に足が向く人は私以外にもきっといると思います。また、これは余談ですが朝市のおばちゃんに飛騨弁を話してもらうのも楽しいと思います。
「これあんさま、安うしとくで買ってってくれんさい。」
「どやな?」
「おりが作ったんやで、うめえにきまっとるにけな。」
「たんと買ってくれんさって、ありがとえな。あばな。」
……さて、意味は、お分かりですか?
実際におでかけになって、お尋ねくださいませ、きっと話が弾むこととおもいます。
◎小なすについて◎
高山では、夏の食卓になくてはならない漬物です。市で買ってきた小なすを洗って、へたを取ってドボンと醤油にいれ重石をするだけです。早く漬けたい時は、半分に切って漬ければ良いし、漬かりすぎたら細かく刻むとまたおいしい。食欲のない時は、これでお茶漬けがおいしいのです。
朝市からどんどん話がそれてしまいました。夏の話に戻しましょう。
夏の朝は、家の前の水路の水をすくって通りにまく(打ち水をする)涼しげな姿をみかけます。古い町並の中でそんな光景を見ると、つい足を止めて見とれてしまいます。街を守る飛騨びとの心は、こういう何げないところにあるのでしょう。観光の方々が、朝市におでかけになる頃には、今日もまた一日が始まり、蝉の声も聞こえ始めます。
<私の夏のお気に入り>
◆清見村「中の島公園」◆
高山のとなり清見村せせらぎ街道の入り口にあります。自然の川の浅瀬や、川から引いた人工のせせらぎがあって、お手洗いも水道も駐車場も備え、とてもおすすめのところです。キャンプやバーベキューをする人たちでにぎわい、ますつかみもできます。(ただしこれは有料)浅瀬を渡って文字どおり中の島へいくと、回りは林ですから、ごろんと転がって昼寝するも良し、つるつる滑る川底に足をとられて転ぶもまた楽し、童心に帰って、のんびり自然の中にいると心がきれいになっていくようです。
◆「高山の盆おどり」◆
♪飛騨の高山ア 高いと言えど、山が高うのうてぇ 名が高い♪
7月下旬の民謡流しを皮切りに、市内各所で盆踊りが始まります。この歌はその中の代表的なものですが、こうして字に書いてみると詞に重みがあって高山を誇りにしてきた先人たちはすごいなあと思うのです。歌はこの後何番かに渡って続くのですが、天領のその昔言いたいことも言えなかった時代、祭りと盆踊りだけは特別に許されて、当世批判などを即興で歌ったのだそうです。その名残りが歌い継がれてきています。歌詞の中にはいろいろなものがあって読むだけでも楽しめます。今年も、過ぎ行く夏を惜しむように盆踊りの音が聞こえることでしょう。
盆踊りの音が聞こえたらどうぞ輪の中へご参加くださいませ。 |
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私の仕事
田中 聡(21才)
自分が、今の調理の仕事にしようと思ったのは小学生のころ見たテレビに影響されてからだと思う。それまでも料理には興味を持っていたし、テレビ番組でホテルや旅館の料理を紹介しているのも欠かさずよく見ていた。
高校に入っても調理の仕事以外には、他に興味もなく進路は迷わなかった。自分は恵那郡岩村町で生まれ育ったのでとりあえずは家から出たかったこともあって、高山の平野屋に就職を決めた。最初はチェーン店の「アリス」に配属された。
今でも、入社一日目のことははっきりと覚えている。前掛けの結び方も知らないままで調理場に行き、上の人に結んでもらい、何から何まで本当に一から教えてもらった。
2ヶ月がすぎ新しくオープンする花兆庵に移ったが、初めは、自分は何をしたらよいかもぜんぜんわからず、とまどうことばかり、今までとは何もかも全部違っていた。朝は6時ごろから夜は10時ごろまで仕事が続き、辛くて正直いってやめたくなった。でも、せっかくいい親方につけたので一つ一つの仕事をしっかりと覚えようと思うようになった。出来るだけその日にやった仕事はノートに取るようにしようと思い、少しでもいいのでノートを取るようにしてきた。今でもそれを続けているし、これからもこれは続けていきたいと思う。
この仕事について3年が過ぎた、けれどまだまだ、まともな仕事はできない。これからも、毎日毎日が勉強だと思ってがんばっていきたいと思う。せっかくこの仕事が好きでこの仕事を選んだからには、やっぱり、食べてくださる人に「美味しかった」と喜んでもらいたい。自分の出来ることをしっかりやって身につけて将来役にたつようにしたいと思う。
この仕事につけて本当によかった。 |
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調理師という道に進んでみて
清水 紀彦(20才)
私は高山で生れ育ち、今は家族3人で暮らしています。
私は長男で、家は農家ですから、田や畑の仕事もあります。だいたいは親がやってくれていますが田植えのときには、家族みんなで力を合わせてやっています。私はあまり農業のことを知らないので、親からいろんなことを教えてもらい、覚えています。
そんな私が調理の仕事をしてみようと思ったのは、中学卒業後の進路を決める時、調理専門学校があることを知ったからです。興味もあったので、親と相談し、岐阜の調理専門学校へ行くことに決めました。いざ行ってみると、けっこう大変なもので、昼は学校へ行き、終ってから料亭や旅館の調理場へアルバイト研修という毎日でした。そして学校でも友達ができ、仕事場でも、いろんなことを教えてもらい、なんとか3年間やってきました。
その学校を卒業後、本陣平野屋に入社して3年目に入りました。
すこしは自信を持って入ったつもりだったけど前の仕事場の料理と違っていてぜんぜん知らない料理ばかりでした。とまどいの中で先輩からいろなことを教えてもらいました。
仕事の中でも、お客様と接することができ、「本当においしかったよ」と言われると、私の一番の励ましの言葉になり、先輩方に叱られたときその言葉を思いだし、がんばらなければと思い直しています。
まだ知らないことが多いですけれど、もっともっと勉強し、先輩方のやっているところをしっかり見たり聞いたりして、がんばっていきたいと思います。
この仕事について始めたばかりですが、調理長のようになれる日を目指してがんばっていきたいと思います。 |
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夏号の2人は・・・
夏号の2人は、調理師の道に入って、4年目の田中聡君と3年目の清水紀彦君です。「志」をもって、和食の調理師の道を選び、毎日がんばっています。今回は本陣平野屋の若い力をご紹介しました。 お読みくださってありがとうございました。
本陣平野屋 女将 有巣 栄里子 |
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平成8年夏 |
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