|
― 平成8年冬 ―
冬の高山 冬の楽しみ チャレンジ(売店:川上) 女将だより
冬の高山 |
観光のお客様の人波が一段落して、今年も高山に「時の流れの穏やかな季節」がやってきました。冬は、高山が最も高山らしくなる季節です。観光のシーズン中は、いつもにぎやかだった古い町並上三之町も行きかう人が少なくなり、呼び込む声を張り上げていた商売の人々も店の中でストーブの前に座っています。外は、しんしんと雪が降り、町中を墨絵の景色に染め上げながら後から後からただ雪だけが降り積もっていくのです。
雪の降る音さえ聞こえそうな静かな時間を飛騨びとは春がくるのを待ちながら過ごします。
高山に何回もいらっしゃる方は、「冬の高山がいいね」とおっしゃいます。きっと飛騨びとの心をよくご存じの方なのでしょう。たったひとつ、寒いことだけご容赦いただけるなら、私も冬の高山が大好きです。
毎年、初雪は十一月の終わりごろ降ります。日毎に気温が下がって、霜が降りると、いよいよ本格的に冬の支度が始まります。年内は雪が降っても根雪にはなりませんが、準備をしておかないと、いざと言うときにひどい目にあってしまいます。(そういいながら私も雪が積もらないと準備ができない人なのですが)
<冬の支度>
- スタットレス・タイヤへのはきかえ (どか雪がふった初めての朝は、ガソリンスタンドも大忙し)
- 冬用のワイパー、融氷用のスプレー
- 車の雪落し
- 雪かき用スコップ、手押しダンプ
- 長靴でなく、スノーブーツと呼ばれるもの
- もちろん手袋
準備だけはして、雪がふっても慌てないようにしたいものです。
たくさんの雪が積もった朝「ザッ、ザッ」と家の前の雪をかく音がして目が覚めます。
「あっ!隣の人、はや雪かいとる(雪かきをしている)」
そう思うと居ても立ってもいられずに、支度をして外へ出て、白い息をはきながら自分もやはり「雪またじ」をするのです。(*雪またじとは雪の処理をすること*)
飛騨では、自分の家の前だけ雪かきをしていないことを恥とするのです。自分の家の前に雪が残っていると「あれぇ、こわいさ」という、またしても飛騨弁になってしまうのです。(「こわい」というのは、飛騨の女性がいろいろな時に使う便利な言葉です。恥ずかしいとか、困ったとか、気の毒だとか、何にでも使ってことをすませてしまいます。)
「積もった雪は、どうするのですか?」と、よくお客様より尋ねられます。雪は、家の前の側溝に落とします。流れる水に解かしてしまうのです。でも気をつけないと雪の量が多すぎて流れなくなってしまいます。家の脇に固めておいて根気に流してやるのがこつです。また、屋根の雪下ろしなどたくさんある時には、川へ持っていって捨てます。トラックの荷台にベニヤ板で塀を作ってたくさん載せるようにします。そこへ屋根に上がった人が雪を放りこんでいき、屋根の雪を下ろします。昭和五十六年の豪雪の時には、雪の重みで屋根が落ちたり、曲がったりした家が何軒もあったのですから、笑い事ではありません、雪下ろしは大切な仕事です。トラックに積んだ雪は川へ持っていって捨てます。捨て過ぎると、やはり同じように水の流れが止まってしまうので、決められた場所に捨てます。雪が多い年は係の人が立っていて、その指示に従わなくてはなりません。そんな年には雪下ろしも二度位することになります。
冬の飛騨には雪とつきあう時間が必要です。家庭の主婦も「雪またじ」という仕事がひとつ増えてしまうのです。 |
上へ
冬の楽しみ
小学校の頃、妹たちを連れて学校に行くとき、みかんをポケットにいれて家をでます。寒いのでみんな黙りこくって歩いていくのですが、私たちが通る裏道の一番端までくると私が声をかけます。そこには、雪またじでよせた雪やまがあります。その雪やまのなかにみかんをつっ込みながら、妹たちに、「ここに入れとくでな」と言います。妹たちの顔がパッと輝いています。雪の中にみかんを隠すのです。
妹たちは、学校の帰り道、雪やまに手を突っ込みながら、みかんを探し当てます。食べながら帰ったのか、家に帰って食べたのか知りませんが、いたずら半分のそんなことがとても楽しかったのです。きっと、みなさんもおありのことと思います。妹との冬の思い出でした。
|
上へ
チャレンジ
売店 川上 真有美
私は、平野屋に入社して、もうすぐ3年半になります。以前は高校卒業後愛知県の自動車部品工場に勤めていました。
私は、人と接する事がとても苦手だったので、工場みたいな所だったら、人と接する事もないと思い、そういう会社を希望しました。思ったとおり、社内の人と話す他は外部の人も来ず、流れ作業で、任された所を一人で黙々と一日中仕事をしていました。私の性格ではこういう地味な仕事が合っていると思っていました。
でも、一生懸命働いてはいたものの、人生の目標・将来像が浮かんできません。だんだんそんな気持ちで生活していてもプラスにならないと思うようになり、仕事にも身が入らなくなりました。
そんなとき「多様化の時代」という言葉を聞き、自分も自分の個性を活かせる仕事を見つけてみたいと思いました。また、自分で納得できる人生を歩むためには自分が最も感心のある分野に飛び込み、今までとはちがうことをやってみようという気になりました。そして、それなら人と接する販売の仕事をしてみようと思い、今の会社に入社したのです。
最初は、売店部の仕事は、商品を包装して、それを袋に入れ、お金をいただく簡単な仕事だと思っていました。言葉も「いらっしゃいませ」と「ありがとう」位しかしゃべることがないと思っていました。でも、いざ仕事をしてみると、とても大変だとわかりました。それは、旅館の中の売店は、お客様の要望にあった対応をしなくてはいけないからです。また、夜は下見だけにして、朝出発前の少しの時間に買われる方が多いので、短い時間にどれだけたくさん商品を買っていただけるかということになります。「バスがきたから、早く早く!」と言われると、気ばかりあせってしまい、自分に余裕がなくなってしまうので、落ち着いて、笑顔で対応しようといいきかせています。また、他に大変な事は、お客様からお土産ものについて尋ねられる事です。入社したての頃、お客様から「さるぼぼってどういう意味があるの?」と聞かれて、高山に生まれ育ちながら恥ずかしいことに「さるぼぼ」の意味を知らず、答える事ができませんでした。値段を覚える事も大切ですが、暇を見つけて売店に置いてある商品について調べたり、お土産以外の観光の事についてもガイドブックを読んで勉強しています。
これからは、商品の配置を工夫して、「お客様が求めるものがあるお店」「他とはちょっと違うお店」にしていきたいです。平野屋の売店を目指して来ていただけるようにがんばりたいと思います。
皆さん、気軽に売店をのぞいてみてください。心よりお待ちしています。
追伸
私は、週に一度、仕事が終わった後、バレーボールクラブに通っています。中学の部活で習って以来ずっと続けています。今、入会しているクラブは同好会ですが、以前は高山市体育連盟所属のバレーボール部に入っていたので練習もとても厳しいものでした。その甲斐あって、九十五年夏の岐阜県大会では、会社の皆さんに応援してもらい、優勝しました。気持ちの落ち込んでいる時などは、おもいっきりスパイクを打って発散しています。
引っ込み思案にならないで、いろんな事にチャレンジできる自分でいたいです。一つ一つに悔いが残らないように……。 |
上へ
女将だより 
女将便りを出す様になって一年がすぎました。
たくさんのお客様に「読んだよ」と声をかけて いただき、とてもうれしく、また感謝の気持ちで いっぱいです。ありがとうございました。
本陣平野屋 女将 有巣 栄里子 |
上へ
平成8年冬 |
|