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飛騨高山本陣平野屋 ブログ「飛騨高山から」

 平成9年秋 ―

秋の果実  テレビの話  私も高山生まれの高山育ち  女将便りで・・・

秋の果実

 8月いっぱいで「飛騨桃」の季節が終わると、梨の季節になります。以前は、梨といえば「二十世紀」と「長十郎」だったと思います。「二十世紀」は、水分が多くシャリシャリとして、何となく洋風、若者の味、というイメージでしたし、「長十郎」はその名のとおり、和風という感じでした。甘味が強いけれども、何か垢抜けない茶色の梨、「長十郎」を子供の頃から私は大好きでした。長十郎にかぶりつくと、皮のざらざらした感触と優しい甘さが広がりとても幸せな気になったものですが、学校の給食にでるのはいつも「二十世紀」で2分の1が1人分でした。水分がいっぱいでお腹がふくれるこの梨を、どこまで食べたら全部食べたことになるんだろうと給食が苦手だった私はいつも思っていました。今では、「幸水」「豊水」など、美味しい梨の種類も増えました。朝市でも売っていますのでごらんくださいませ。梨が終るとりんごの季節、高山は、信州と同じりんごの産地です。朝市に出かけると、朝市のおばちゃんの笑顔と真赤なりんごがすぐ目につきます。木箱の中のりんごは、ピカピカに光っておいしそう。「茜」「つがる」「フジ」と、秋が深まるにつれ並ぶ りんごも変ってきて、果肉に蜜が入った蜜りんごとよばれるものになります。りんごが並ぶと朝市も一段と華やかになり、朝市のおばちゃんの飛騨弁を聞きながら、品定めをする楽しさは格別です。朝市からでも宅急便の手配ができますので、荷物になることを気にしなくてよくなりました。また、りんごのまるかじりは美味しいですけれど、りんごをかじると歯から………という方のために皮をむいて切ってもくれます。飛騨高山が最も身近に感じられる場所、朝市へぜひおでかけ下さい。朝、たくさんの買いものをされた方々が旅館へ戻っていらっしゃるとみな様が楽しまれた様子が良くわかり、私まで幸せな気分になってしまいます。

<秋の味覚 番外編 一位の実>
  一位一刀彫で知られる、一位の木には秋になると赤い実がたくさんなります。小さな実には似合わないような大きな黒い種が入っているので注意して、口に入れると、とろりと甘い味です。力を入れて実をつまむと、すぐにつぶれてしまうので気をつけてください。市内を歩くときっと目にはいると思います。葉っぱの緑と実の赤の色合いがとても素敵ですからすぐわかります。子供の頃のままごと遊びには欠かせないご馳走でしたし、学校からの帰り道にもよく取ったものです。


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テレビの話

 飛騨高山はよくテレビ局の方が取材にいらっしゃる街です。古い町並みや赤い橋など風情豊かなたたずまいは、やっぱり人気がありますから旅番組だけでなくドラマの舞台にもよくでてきます。旅館を撮られる時に私ども本陣平野屋にも声がかかり、花兆庵を映してもらうことがあります。たくさんの機材やスタッフの方に圧倒されているうちに時間は過ぎて行き、撮影が真夜中までかかることもありました。私たちにも、ある程度の打ち合わせがあり、どこを撮りましょうとかここで話してくださいとか指示があるのですが、臨機応変に対処されるスタッフの方達の中にいて、「ハイ、女将さん、どうぞ!」と言われて、度胸だけで話をするのです。飛騨高山の宣伝をしたり、本陣平野屋のことを話したり、時には相手の方の質問に答えたりするところを撮ってくださいます。そして、放映は何月何日ですから……と言って次の撮影場所に出発されます。短い様な長い様なあっという間の時間を過ごし、田舎ものの私はテレビってすごいなあと感心するばかりです。

<おまけ>
 私はテレビに映っている自分を見て、びっくりしました。標準語で話したつもりなのに、かなりなまっているからです。まぎれもなく「飛騨弁」なのです。きどって話してこれだから、普段私が話している言葉は、「まる出し」なのだろうと思います。(もしおわかりづらい方がいらっしゃいましたらごめんなさい。女将は生まれも育ちも高山です。)

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私も高山生まれの高山育ち  

高山市手筒組組長・高山土産品組合長  畑中 昌次

 飛騨高山は岐阜県に有ります。都会へ行くと、飛騨高山は知っていても 高山市は知らなかったり、何県にあるのかと聞かれます。嬉しいような、寂しいような気持ちで聞いております。
 私はその飛騨高山で、渋草焼という伝統の陶器を商っております。渋草焼の元祖は戸田柳造といい、尾張(愛知県)の人でした。天保13年(1842)当時の飛騨の郡代に招かれて、高山の西、渋草というところで陶窯を始めたのが渋草焼のはじめです。現在窯元として、6代目戸田柳造を継いでおりますのが、私の末弟です。
 渋草焼は、別名「飛騨赤絵」と称され五彩赤絵をつけたものが多く飛騨九谷ともいわれました。現在では、初代よりの特徴に、更に工夫をこらし、赤絵染め付けを毛筆描画し雅風を更にしております。6代目戸田柳造展は、毎年、岐阜・名古屋の百貨店にて開催しており、また高山では、広小路通りに春艸堂(しゅんそうどう)という名で直営店を開いております。(本陣平野屋より5分)
 昭和9年10月(1934)高山線が開通するまでの高山は、長い間、陸の孤島であり、岐阜まで2日がかりの旅でした。
 文化的には、飛騨の匠で有名でしたが、(それも租庸丁の代替としての人夫微発が原因ともいわれている)、自給自足鎖国経済即ち農業と林業が支配する町だったと思われます。それが、ディスカバージャパンを契機に観光が町の経済の中心になってまいりました。
 そのような流れの中で、高山へ来られるお客様に楽しんでいただくためには、何をしたらいいのか多くの試行錯誤の中で私なりに多少のお手伝いをさせていただいており、ここに紹介をいたします。
 1つは手筒組のことです。毎年、8月9日に夏の風物詩手筒花火打ち上げがあります。観光高山に少しでも彩りをと十五年前に高山手筒組を設立し、今やメンバーも37人になって、毎年120本ほどの手筒花火を打ち上げるようになりました。ご覧いただければわかりますが、相当勇壮なものです。1回の打ち上げに1800グラムの火薬(鉄砲の弾900発分)が入っており、実際の実演には腕に抱えた筒から上がる火の粉をかぶり、熱さもすごいものです。毎年手筒花火を境にして、火の粉をかぶって頭の毛が薄くなるから退会したいという者が3人にもなりました。しかし私は手筒組の生みの親として、15年かけ、やっと高山の名物として馴染んできた手筒花火をがんばって行きたいと思います。
 もうひとつは、多分多くのお客様がご存じないことですが、高山の観光協会では、毎年夏休み前に東京駅・大阪駅など5ヶ所で1回1万5千本、計7万5千本の団扇を配っております。この団扇を持って高山に来られますと、駅前の案内所で通行手形と交換してくれ、この通行手形で高山の観光施設入場が無料になります。配っているところをみられたらぜひ手にいれてください。
 今や、高山は観光でたっていくより他に道はないと思っていますが、それだけの自然・文化遺産が豊かであると自負しています。更に、親切で優しい、素朴な住民、四季折々の変化が豊かできれいな町並など、楽しんでいただきたいのはふれあいです。
 本年は、安房トンネルが開通し、関東との距離はぐっと近くなります。また数年後には東海北陸自動車道が高山にとどき、関西との距離も短縮されます。私たちは、お客様に2度3度と高山にきていただき、その度に新しい発見があり感動がある町に高山を育てていきたいと願っています。
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女将便りで・・・

 私は、商売柄かもって生まれたものか、年中駆け足でバタバタと過ごしております が、季節感を忘れないようにといつも思っています。その季節にしかできないこと味 わえないことなどをお客様に伝えたい、提案したい、それが飛騨独特のものなら尚の こと、大切にすることも私たち旅館に携わる者の役目と思っています。女将便りでそ んなことを少しでもお話できればと思います。有り難うございました。

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平成9年秋

飛騨高山の宿 本陣 平野屋 花兆庵 〒506-0011 岐阜県高山市本町1丁目34番 TEL.0577-34-1234
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