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― 平成9年春 ―
春に思うこと ひな祭り 花兆庵と共に 私の春号
春に思うこと |
山からの雪どけの水が、清らかな音をたてて流れるそんな時がやってきました。宮川にかかる筏橋に立って、眺める赤い橋・中橋の風景は芽吹き始めた緑まぶしく、今年も忘れずに春が来たということを教えてくれます。
(私は、赤い橋に立つより、筏橋に立って赤い橋を眺めることが好きです。)
まだ冷たい風を頬に受けながらも、日差しは春そのもの……観光のお客様が少ない冬の間は、閉めていたお店も開き始め、朝市の数も多くなり、またにぎやかな季節の始まりだと思うと、心うきうきの春なのです。
今年は、我が家にとっても大きな春がきます。長男が中学校に入学するのです。
いつまでもかわいい坊やでいてほしいのに、子供はどんどん大きくなって、手もかからなくなったかわりに、話す言葉も少なくなってきて……さみしいなと思うこのごろです。高山の中学、都会の学校と違って、さしたる受験戦争もなく部活などに明け暮れながらすごすのでしょうが、子供もはじめての経験ならば、親もはじめての経験です。どんな中学生活になるのやら……親がドキドキしても始まらないですね。ただ1つつらいのは、毎朝早く家をでるようになること!これは、私にとって、結構プレッシャーです。 |
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ひな祭り
3月3日は、全国的に雛祭りですが、高山では、ひと月遅れの4月3日がおひなさまです。3月だと飾る花がなかったからでしょう。
雛祭りは、春の訪れもあって、華やかでかわいらしいお祭りです。小さい時から私はおひなさまが大好きでした。「今年はいつ出すの?」と、母に催促しては、うるさがれました。 母は、出したり、かたずけたり、面倒だったのでしょうが、それでも、きちんきちんと毎年だしてくれました。"毎年だして、そして、3日の夜にはかたずけないと、嫁にいけない"といういいつたえは、きっと母の頭のなかに、いつもあったのでしょう。なにせ、娘ばかり4人もいたのですから……そのころは、母の実家から、買ってもらったおひなさまだけでしたが、縁があって、とても古い御殿飾りのおひなさまを譲り受けました。私が大きくなってからです。
このおひなさまは、その土台だけで6畳の部屋がいっぱいになる大きなものです。土台の上に御殿を作り(すべて木わくの組み立て式)、お内裏様を座らせます。御殿の階段を降りたところに、三人官女を始め、お供の者がたくさん置かれます。にわとりが放し飼いになっていたり、煮炊きをする様子もあり、のんびりとして暖かな御殿飾りです。そして下の段には、嫁入り道具のような数々の品、(お善組一式、裾に綿の入った着物、囲碁や将棋の道具等……)が並びます。小さいけれども名品の数々にうっとりと夢を見ていると、時間の経つのを忘れてしまいます。
細々とした細工のものに気をくばり、立派なこの雛飾りは、きっともう作ることができないと思います。
出すのに1日、かたずけるのに1日、2人がかりでいたしますから、それは、大変なことで、気合をいれて、かからねばやれません。それでも「今年もやるか。」といいながら、母と2人、ふうふういって出すのは、愛らしいお内裏さまに会いたいからです。
いつかみなさまにもお目にかけられたら、と思います。旅館の中で展示できるようになるまで、しばしの猶予を……。
さて、ちなみにしょうぶの節句も6月5日になります。朝市で買ったよもぎとしょうぶの束をお風呂に入れます。子供のころは臭くていやでしたが、季節の行事を大切にしてくれた親の気持ちに感謝して、今もしょうぶをお風呂にいれています。子供たちはその臭いに、やはり大騒ぎしています。またしょうぶの節句にかかせないのが、柏餅ですね。高山では、一般的なお節句の5月5日前から、売り出しますので、約ひと月間、食べられます。味噌あん、こしあん、つぶあんが、ピンク、白、草の皮の中にはいっています。私は味噌あんが大好きでふたつはペロリです。
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花兆庵と共に
フロント 清水 琢也
本陣平野屋に入社して、いつの間にか4年も経ちました。 私は、工業高校の電気科で学んでおりましたが、卒業が近くなっても、就職にきっちりとした目標や目的があるわけでもなく、何処でも良いが入社さえできるのなら、何とかなるだろうといあった程度の気持ちでした。
ある時、担任の先生から、本陣平野屋という旅館が、今度、新館を建てるので電気管理者を求人しているが、考えてみないかと言われ求人用紙を渡されました。その頃は、恥ずかしながら、本陣平野屋という旅館があることすら知りませんでしたが、給料はまあまあで、殊に全く勉強しないで遊んでばかりで、就職試験のあるところは避けようと思っていた私は、面接だけだというところが気にいり、「ここで良いです。」と返事をしてしまいました。
それでも、面接の日は、はっきりと覚えています。9月21日土曜日でした。会社からは、午後1時と連絡があったのに、学校へは午後12時からだといって早めにサボリ、さすがに緊張していたのか、友人宅でたばこを吸いながら、気持ちを落ち着かせました。
ウロウロしながら看板を確認し、中へ入ったのですが、緊張しながらも、かねてから友人たちから聞いていた、平野屋には、可愛い子がたくさんいるぞということを、確認しようときょろきょろしていました。
無事に面接を終え、内定をもらい、4月3日より出勤することになりました。3月卒業から入社まで、仕事を見ようと思いアルバイトの申し込みをして支配人にけんもほろろに断られたのも今では楽しい思い出です。
入社後半月間ほど、本陣平野屋の慣例で清掃部に配属され、清掃がすむと、3時からフロント研修をしました。そして、私なりに一生懸命にお客様と対応しているうちに、管理よりフロントのほうがやり甲斐があるなあと思い始めていました。仕事の合間に、支配人に「フロントをやってみたいですね。」といったような記憶もあります。そのせいか、いよいよ正社員になって名札をもらった時「フロント清水」と書いてありました。
フロントの一員となって見ましたが、覚えなければならないことの多いこと、多いこと、ミスを重ねながら、経験を積みました。フロントの仕事の中でも最も大切なことが、お客様への対応だということも初めて知りましたが、最初は笑顔なんてもってのほか、まともな敬語すら使えず、お客様を怒らせてしまったこともありました。一生懸命お客様に近づけと教えられ、何でこんなことを、と思いながら、それでも努力していくうちに、次第にお客様と話をするのが楽しくなり、笑顔もでてくるようになりました。
平成5年7月、私たちも期待していた花兆庵がオープンすることになり、私も花兆庵フロントに配属されました。女将さんが館内全般のサービスを見、調理長の武藤さんが来られ、そういう雰囲気の中で、私達もとても緊張しました。ゼロからのスタートと同じでした。私も負けたくないと努力しているつもりでも「お客様の望んでいることをもっと考えろ、笑顔が足りない、すばやく動け」等など、叱られてばかり、あっと言う間に、3年が経ってしまいました。
今私は、「あのフロントの出迎えに会いたいから、また花兆庵に来たい」とお客様にいっていただけるようになりたいと思っています。サービスの向上は終わりがないと思いますが、笑顔のたえない旅館、思い出していただける旅館、ほっとできる旅館を目指してがんばっていきたいです。1度来られたお客様が2度3度と来てくださるように一人一人のお客様を大切にしていきます。 |
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私の春号
私の春号は、また食べものの話で終わってしまいました。
飛騨の古くからの習わしは、ずっと続く様に私たちも引き 継いでいかねばならないと思います。
ご高覧ありがとうございました。
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平成9年春 |
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