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飛騨高山本陣平野屋 ブログ「飛騨高山から」

 平成9年夏 ―

だんご娘の話  なお良井ができたころ  山菜をフランス料理に  選べる夕食

だんご娘の話
 みなさんは夏の思い出というと、麦わら帽子をかぶった幼い日の自分が出てきませんか。
 暑さを一層際立たせるセミの声、口のまわりを真赤にしながらかぶりつくスイカ、ざるに入ったゆでとうもろこし、四季の中で、その思い出が原色の様に鮮やかに湧き出る季節――夏です。
 私が初めて高山名物みだらしだんごを焼いたのも夏でした。小学校5年生の時のことです。観光施設、屋台会館の地下に(現在は新しい屋台会館になり、以前の屋台会館は桜山日光館になっている)、私の父が「おんじきどころ なお良井」と言う食事どころを開きました。(おんじきところとは、お食事どころ。なおらいとは、神事の後の会食という意味です。)お店の切り盛りは、母が任されました。なお良井は、お昼だけの店で、お弁当と飛騨そばをお出ししていますが、店先で「みだらしだんご」を焼いて売ることになりました。夏休みになったら、手伝うかという父の一言に、母といたい一心で「ウン」と返事をしました。いよいよ夏休みになり、小学5年生の私と3年生の妹が、だんご焼のデビューです。おそろいのカスリの着物に赤いたすきをかけてもらい、気分は一人前です。
 だんごは、1串5個で20円。米の粉で作っただんごをこげめがつくほどに焼き、特製のしょうゆにつけてまた焼く、もう一度しょうゆにどぼんとつけてまた焼く、かわいたらできあがり!しょうゆのこげる香ばしいにおいにつられて、お客様が黒だかりになる始末。 「順番に並んでくださぁい」と、大声で叫ぶと子供のいうことなので、お客様も列になって、だんごが焼けるのを待ってくださいました。夕方まで焼いて、多いときは5千本を売ると、しょうゆのこげた匂いが体にしみつき、くたくたになりましたが、たくさん売れるのがおもしろくて、また、一人前に商売できるのが誇らしくて、結局夏休み中、だんごを焼いたのでした。
 なお良井で、熱さに顔を真赤にしながらだんごを焼いたこと、朝一番に、まず店先に打ち水をしたこと、素足にはいた赤い鼻緒の下駄、どれもわたしの大切な夏の思い出になっています。
 「私、子供の時、だんご焼いたんです。」といっても、このごろでは信じてもらえません。いつか、またやりましょうか……カスリの着物に赤いたすきで……

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なお良井ができたころの飛騨高山

 その頃、国鉄では「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを大々的に繰り広げ、旅行ブームになっていました。それまでの飛騨高山は、ただの山奥であり、名古屋から4時間以上も汽車にゆられ、直角に曲がったエンジ色の座席に座っていると、オシリがしびれ、腰が痛くなり、へとへとになってやっと到着したものでした。トンネルに入ると慌てて窓を閉め、高山に着くころには真っ黒になった鼻の穴を拭きました。
 私の母は、岐阜市からお嫁に来るとき、これから先どれくらいこの道を行ったり来たりするのだろうとため息をついたのだそうです。(当時、高山線は、岐阜までしか行きませんでした。)
 話が少しそれましたが、そんな山ひだ深いところに観光のお客様がいらっしゃるようになったのです。順に観光施設が整っていくなかで、昭和43年に屋台会館がオープンいたしました。これは、本来お祭りのときのみ、年に1回だけでる屋台をせっかく高山におこしいただいた観光のお客様に、1年中いつでもご覧いただけるようにと、観光高山のメイン施設として考え、神社を始め、屋台組の長老達に働きかけ氏子の同意をとりつけ、神社の境内に会館を作り、11台の屋台を交替制で展示するという大事業だったのです。大切な屋台を祭りでもないのに飾りつけて引き出し、屋台会館に入れ、入れ替えがくると飾りをはずして、またしまう。そんなしくみが整うまでには多くの人の並み並みならぬ努力がありました。
 今まではなくてはならない観光名所、屋台会館になお良井はあります(冬期休み)
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山菜をフランス料理に

ステーキハウス和蘭陀舎(本陣平野屋姉妹店) 店長シェフ  沢井良一

 飛騨高山の味覚といえば、誰しもすぐ思い浮べるのが、山菜と飛騨牛です。私どもはその山菜と飛騨牛に取り組み、和蘭陀舎という名前で、フランス料理とステーキの店を営なんでいます。
 私は、高山生まれの高山育ちです。私の子供の頃の最高の楽しみは、特別な時に洋食屋へ連れていってもらうことでした。幼い時に楽しんで食べた、とんかつ・カレーライスなど、とても美味しくて、今でも強く印象に残っています。
 当時、レストランと言えるのは、高山では"アリス""スズメ"という2軒だけで、今日はこっちでこの次はあっち、と子供心に楽しいものでした。(レストランアリスは女将さんの生家で、私どもの姉妹点でもあります。)そういうことが、私の生い立ちに大きく影響したのか、いつのまにか母と一緒に買い物に行き、台所に立つようになり、高校卒業と共に、フランス料理の道へ入りました。見るもの、聞くもの、何が何だか分からず、飛び交う言葉もフランス語に英語と、まごまごしながら懸命に吸収していきました。ただその頃から生意気にも自分ならこうしたい、こんなふうにチャレンジしたいと思い続けていました。
 調理の道に入って十数年経った頃、縁あって和蘭陀舎の店長シェフとして、運営と調理に責任を負うことになりました。この店は、飛騨地区に全くなかった雰囲気の店であり、私自信も張り切って仕事に取り組み、当初から相当の支持をいただいて参ったと自負しておりましたが、その中でもフランス料理の店ではあるが、大切なテーマとして取りくんでいきたいと思っていたのが、郷土の素材の活用でした。飛騨高山には、長い食文化の歴史があり、伝統的な京都との文化交流の中から宗和流などの独自の食文化も育ち、その中で息づいてきたのが、ふる里の素材山菜でした。そして私も何度も失敗を繰り返し、「蕗のとうの冷たいスープ」「山うどと鴨のオレンジ煮」「こごみのフリット・山わさびソース」などお客様に喜んでいただける物をいくつか創作いたしました。
 長い飛騨の食文化の歴史と比べるなら、まだ先は長いですが、私の料理の中に飛騨の素材をどう活かし、どう組み立て、どうしたら喜んでいただけるか今後も追い続けたいと思っています。
 ただ調理師としてはそれで良くても、店長としてはまだ合格はできません。「シェフだけでは不十分だ、店長なんだから」「素晴らしいレストランとはトータルサービス業だ、お迎えからお見送りまでのオール評価が点数だ」と言われ、私のおつむはだいぶん薄くなりました。(社長の責任です。)
 私共の店はセミオープンキッチンで、お客様の前でステーキを焼くのは勿論、時には魚介類からご飯物まで料理をし盛り付けをします。ですから、料理を作るという気持ち以上におもてなしをするという心構えがいりますので常に緊張が解けません。泣いたり、笑ったり、胸を膨らませたり、落ち込んだりと、この店もいつのまにか十年経ちました。仕事に慣れ、それなりに自信も出来てきましたが、もう一度、開店時の緊張感を思いだし、料理の研究はもちろん、高山にお越しのお客様に素晴らしい思い出をお持ち帰りいただける店にしたいと思っています。ぜひ一度お越しくださいませ。

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選べる夕食

 私どもでは、2泊されるお客様に2泊めの夕食を「和蘭陀舎」「すし兆」でも召しあがっていただける『選べる夕食』をご案内しております。  また、各店のお昼の予約も承ります。どうぞ、ご利用下さいませ。

 女将便りを書くたび、たくさんの方の心に触れることができ、またたくさんの方 に支えられていることに感謝ひとしおです。ありがとうございました。

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平成9年夏

飛騨高山の宿 本陣 平野屋 花兆庵 〒506-0011 岐阜県高山市本町1丁目34番 TEL.0577-34-1234
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